今回のいせさきふらっと観光は、国定町の養寿寺にある全国的にもその名を知られる伝説の侠客『国定忠治の墓』をご紹介したいと思います。 忠治の墓のある養寿寺は、平安時代後期の創建当初は「相応寺」と称していたそうで、あずま道(東山道)にもほど近く、奥州に下る途中に立ち寄った義経にお茶を勧めたことから「茶呉山相応寺」とも呼ばれていたのだそう。
現在の養寿寺と改称されたのは1680年代〜1700年代頃、その霊園に赤城山を背にするように墓所が設けられています。 国定忠治の本名は「長岡忠次郎」、よく知られる「国定忠治」の名は出生地によるもので、家業は農業を営んでいたそうですが、この時代に苗字を持っていたことから、相当の家柄だったと考えられます。
忠治に関しては、猛烈な博打の強さや、縄張り荒らしや殺傷事件に関所破り、裏賭場の開帳…と悪事に関するイメージが先行していますが、江戸時代後期に多くの餓死者が出て、百姓一揆が頻発したとされる「天保の大飢饉」において、自分が治めていた地域では、博打の稼ぎで貧しい人々に金銭を施したり、耕作地のため池の工事を行ったりするなどしたことで餓死する者を出さず、幕府からは嫌われ者だった忠治も民衆からは大きな支持を受け、“強きをくじき、弱きを救う英雄”と称えられることとなりました。 現代にも身近なところでは八木節に歌われていたり、講談や演劇、大衆文学などのテーマとして取り上げられてきたことから、広くその名を知られ、語り継がれています。 そしてその忠治の残した勝負師伝説から、「忠治の墓石を削って持ち歩くとギャンブルのお守りになる」、「忠治の墓石を煎じて飲む(!)とギャンブルに強くなる」などの噂が広まり、墓参りに訪れて削って持ち帰る人が多くなってしまったことで、現在では柵で囲われ、触れることができなくなっていますが、彫られた文字も判読できないほどに削られた墓石の姿にその名残りが感じられます。
今回の取材では見学することは叶いませんでしたが、境内には有料の忠治の遺品館もあり、そちらには実物大木像や、実際に使っていた火縄銃や短銃、身の周りの品など、貴重な遺品を見ることができるのだそう。 人の道を外れていたこともあり、その行いについて全ての人からの称賛を得ることは出来ないと思いますが、国定忠治はこれからもきっと、末永く「伊勢崎の伝説の人物」として語られていくことでしょう。 皆さんもここぞの勝負の時には、国定忠治の墓を訪れ、お参りしてみてはいかがでしょうか? 『国定忠治の墓(養寿寺)』 伊勢崎市国定町1丁目1235 取材:2017年7月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。 その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、伊勢崎のまちの魅力を研究し、より多くの方に訪れていただけるよう発信しています。 ※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際の内容等について取材後に変更されている場合もありますので、お出かけ前に最新情報をご確認いただくことをおすすめします。また、記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)
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