今回のいせさきふらっと観光は、いせさきをふらっと離れ、お隣・玉村町下新田にあるお寺「称念寺」の本堂脇に建てられた国定忠治にゆかりのある供養塔『家鴨塚』をご紹介したいと思います。 1850年(嘉永3年)7月、潜伏していた赤城山を脱出した忠治は中風(麻痺などの残る脳血管障害)に倒れ、盟友でもあった田部井村(現在の伊勢崎市田部井町)の庄屋・西野目宇右衛門の家の離れで妾のお町に看病してもらっていたところを、8月24日、捕縛されてしまいます。 江戸で裁きを受けに送られる道中、玉村宿で取り調べの為に17日間ほど留め置かれていましたが、慕う子分の多い忠治を取り調べるには、奪還の恐れもあったことから捕縛された地元から場所を変えたとも、群馬の中でも一番といわれる繁栄を見せていた玉村宿に留め置くことで、表向きにはできない“忠治を称え、華やかに送り出したい”という思いを表した…とも言われているようです。 その玉村宿で、中風を患う忠治に同情した道案内の者(目明かし・町奉行の手先のような町人)の柳沢佐十郎が治療の為に家鴨の生き血を飲ませ、その家鴨を供養する為に建立されたのがこの『家鴨塚』なのです。 家鴨の生き血が中風に効くのかどうかはよくわかりませんが、台湾や中国などではアヒルの血を固めたものは火鍋などの具としても親しまれており、鉄分やビタミンなどが豊富で女性の体に良いと言われる栄養価の高い食材のよう。 日本でもスッポンの血が滋養強壮にいいというのは有名ですが、家鴨の生き血もそういった効果があると言われていたのかもしれませんね。 玉村宿から伝馬町の牢屋に入った後の11月、忠治に死罪の判決が出され、12月21日、吾妻郡東吾妻町大戸の処刑場で300人の役人が警護に当たる中、噂を聞きつけて集まった1,500人もの見物人の前で磔にされた忠治は、目隠しをすることなく14回槍で刺され、41年の生涯を終えました。
『家鴨塚』が建立されたのは、それから8年後の1858年(安政5年)と伝えられていますが、家鴨を供養する為だけでなく、忠治が単なる悪人ではなく、多くの人々を救っていたことを後世に伝えたいという気持ちもあったのではないでしょうか。 この『家鴨塚』のある「称念寺」は、1874年(明治7年)に玉村小学校の借用校舎となったとのことで、『家鴨塚』のこと、国定忠治や柳沢佐十郎のことなども、学校で語られる機会もあったのかもしれませんね。 「称念寺」があるのは伊勢崎市ともつながっている旧日光例幣使道すぐ近く、史跡や文化財の見学と合わせた宿場の面影の残る街並みの散策は、ふらっと観光気分を味わいに行くのはもちろん、夏休みの自由研究のテーマにもおすすめですよ♪ 『家鴨塚』 群馬県佐波郡玉村町大字下新田1016-1 称念寺境内 取材:2018年6月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。 その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、伊勢崎のまちの魅力を研究し、より多くの方に訪れていただけるよう発信しています。 ※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際の内容等について取材後に変更されている場合もありますので、お出かけ前に最新情報をご確認いただくことをおすすめします。また、記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)
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