経営者の輪Vol.402 有限会社三光製作所の天田貴大さん

経営者の輪Vol.402 有限会社三光製作所の天田貴大さん

今回ご紹介するのは、有限会社三光製作所の天田貴大さん。おじいさまが創業し、お父さまが守り育ててきた会社に入社して1年半。現在は社内の各部署を回りながら、金属加工の技術を一から学んでいます。幼いころは「ひ弱だった」という天田さんですが、小学校から大学までスポーツに打ち込み、卒業後は神奈川県のメーカーへ。さまざまな経験を重ねる中で見つけたのは、新しいことを学び、挑戦する楽しさでした。

プロフィール

天田 貴大(あまだ たかひろ)さん

伊勢崎市出身

伊勢崎市在住

自由な選択を勧めてもらって

ひ弱な少年時代⁉

 

「幼少期は『ひ弱』でした」。幼いころを振り返り、少し照れたように話す天田さん。体は小さく、食も細く、給食を完食できるようになったのは中学生になってから。体調を崩しやすく、1年間休まず学校に通えたことはなかったといいます。

 

それでも、スポーツは大好き。小・中学校では野球に親しみ、高校ではハンドボール部へ。大学では体育会水泳部に所属していたというのですから、その歩みは筋金入りです。

 

自分たちで考える楽しさ

 

理科と数学が好きだったことから、高校は理数科に進学。そこで、多くの選手が高校から競技を始めるというハンドボール部に入りました。当時の顧問は競技経験がなく、練習方法や試合の進め方も生徒たちに任されることが多かったそうです。

 

天田さんが務めたのは、攻撃を組み立てるセンターというポジション。仲間と意見を出し合い「どう攻めれば得点につながるか」を考える時間が何より楽しかったと振り返ります。自分たちで考え、試し、結果を出す。その経験は、現在の仕事に向き合う姿勢にも通じているといいます。

 

自由だからこそ迷った進路

 

おじいさまが1957(昭和32)年に創業した三光製作所は、精密板金加工やプレス加工、溶接、組み立てなどを手がける金属製品製造会社です。天田さんが物心ついたころには、お父さまもすでに同社で働いていましたが、お父さまや親戚から家業を継ぐよう求められたことは一度もありませんでした。

 

「自分の好きな道を歩めばいい」と言われ、進路を自由に選ばせてもらった天田さん。窮屈さを感じることなく、やりたいことに取り組めた一方で「選択肢が多かったからこそ、かえって悩みました。継げと言われていたら、それはそれで楽だったのかも。ぜいたくな悩みですね」と笑います。

 

絶対にこの仕事がしたいという明確な目標はなかったものの、お金の流れや社会の仕組みに興味を持ち、進路を転換。大学では経済学部に進みました。

転機の就活で事業継承を意識

水泳に打ち込んだ学生時代

 

大学進学を機に親元を離れ、一人暮らしを始めました。トライアスロンを題材にした小説に影響を受け、まずは水泳を身に付けようと水泳部の門をたたきます。

 

練習は週2回と聞いていたはずが、入部してみると週4日。思いがけず、水泳中心の生活が始まりました。練習を重ね、背泳ぎで関東の大学水泳部による最大の大会である「関東学生選手権水泳競技大会」にも出場。この時にしっかりと体を鍛えたことで姿勢がよくなり、肩幅も広くなったそう。「そのせいか、実際の身長以上に大きく見られることが多いですね」と、はにかみます。

 

コーディネーターとの話をきっかけに家業を意識

 

大学3年で「ご自身の転機」と話すできごとがありました。天田さんが通っていた大学の就職課は学生への支援が手厚く、コーディネーターと話す機会が頻繁にありました。その中でご実家について話すと「昭和30年代から続く会社で、何十人もの従業員が働いているのはすごいこと。継がないのはもったいない」と言われます。

 

それまで漠然としていた事業承継が、初めて現実的な選択肢として浮かび上がりました。「一度はほかの会社で働き、外の世界を見た方がいい」というお父さまの助言もあり、大学卒業後は神奈川県にある半導体関連部品メーカーに就職しました。

 

任される喜びを知った職場

 

配属先で20代の社員は、天田さんを含めてわずか3人。当初の主な業務は、クリーンルーム内での製品の検品や管理でしたが、上司が「ほかの仕事もやってみたら」と、さまざまな機会を与えてくれました。

 

未経験の業務にも尻込みせず「やってみよう」と前向きに捉えられたという天田さん。他部署との会議に参加し、所属する棟の管理にも携わるように。やがて、社長と直接打ち合わせをしながら仕事を進めるまでになりました。

 

「入社して数年の社員では、普通ならなかなか経験できない仕事を任せてもらいました。新しいことを覚えられるのが、とにかく楽しかったですね」と明るく話します。

 

未知の仕事に挑み、できることが増えていく。その喜びを知った社会人時代は、現在の天田さんを形づくる大切な経験となりました。

一から学ぶものづくりの奥深さ

故郷への思いが帰郷を後押し

 

入社当初は、30歳になるころまで続けるつもりだった会社員生活。しかし、社会人3年目を迎えるころから、友人たちが次々と地元へ戻り始め、身近にいた仲間が少なくなっていきました。一方、帰省するたびに目にする懐かしい風景や自然に恵まれた穏やかな環境に触れ「やっぱり、いいな」と伊勢崎の良さを再確認。次第に故郷への思いが強くなっていきました。

 

伊勢崎へ戻ることを決め、帰るからには三光製作所で働きたいと考えました。お父さまに初めて「入社させてほしい」と自分の意思をはっきりと伝えました。

返ってきたのは、意外なほどあっさりとした「そうなんだ」という言葉。「入社する時期はいつでもいい」と言われたため、退職後は2カ月ほどゆっくりしようと考えていたそうですが、お父さまの中ではすでに受け入れの計画ができていたよう。わずか1カ月後には三光製作所での新たな生活が始まりました。

 

入社して初めて知ることばかり

 

幼いころからなじみのある会社ですが、それまでは事務所を訪れる程度で、会社全体の様子は把握していませんでした。入社して初めて、「うちの工場って、こんなに広いんだ」と驚いたそう。当然「具体的な仕事内容も、よく分かっていなかった」と苦笑します。

 

同社の主な業務は、鉄をはじめとする金属の加工。精密板金加工からプレス、溶接、組み立てまで、幅広い工程に対応しています。

 

天田さんは現在、各部署を回りながら、それぞれの技術と仕事の流れを学んでいる最中。最初に経験したのはベンダーと呼ばれる部署で、加工機を使い、金属板を折り曲げて形をつくる工程でした。上司から「いろいろやってみるといい」と背中を押され、仕事で残った端材を使って、ピザ窯で使う道具も製作。失敗しながらも「初めて扱う機械に触れることで理解が深まり、加工の幅広さや可能性も実感でき」と前向きです。

 

「知れば知るほど、金属加工にはさまざまな可能性があると感じます」、と話す表情からは、ものづくりを心から楽しんでいる様子が伝わります。

 

高校時代、仲間と攻め方を考えたハンドボール。社会人時代、新しい仕事を任されるたびに感じた喜び。そして今、機械や加工技術を一つずつ身に付ける中で広がっていく発想。天田さんの歩みには、一貫して「自ら考え、まずやってみる」という姿勢があります。

 

人とのつながりが広げる視野

 

昨年10月には、伊勢崎商工会議所青年部に入会。「ここで、さまざまな業種の経営者と知り合えたことは、よい刺激になっています」と話します。

 

イベントの運営一つを取っても、人によってさまざまな考え方があること、つながり方次第で新たな可能性が生まれることを実感。自身の仕事でも、人との関わり方や言葉のかけ方一つで、新たなつながりを生み出せるのではないかと考えるようになりました。こうした経験から「営業の仕事にも興味が湧いてきた」とほほ笑みます。

 

職人気質で、何でも自ら器用にこなすお父さま。一方、天田さんは、信頼できる人に仕事を任せ、それぞれの力を生かすタイプだと自己分析します。タイプの違う2人だからこそ、互いの強みを生かしながら、会社の可能性をさらに広げていけるのかもしれません。

 

おじいさまとお父さま、歴代の社員が積み重ねてきた技術と信頼を受け継ぎながら、新たな可能性を見つけていく天田さん。その挑戦は、まだ始まったばかりです。

■企業情報

有限会社 三光製作所

◆住所:伊勢崎市境小此木320

◆電話:0270-74-0754

◆営業時間:8:00~17:00

◆休日:土曜、日曜、祝日

◆創業/1957(昭和32)年

◆従業員数/30人

 

有限会社 三光製作所 のHPはこちら

 

取材日:2026年9月  e塚


記事内容の二次利用について

本サイト上に掲載されている写真・記事等を無断で二次使用することを禁じます。
二次利用を希望される方はこちらから必ずアイマップへお問い合せ下さい。

管理画面ログイン

協賛企業一覧

  • 経営者の輪 サイドバナー あかぎ信用組合
  • 特集 サイドバナー アイオー信用金庫
  • 特集 サイドバナー 桐生信用金庫

特集コーナー